母が離婚して
私が保育園児から小学校3年生まで暮らしていた
横浜市の西区には『くらやみ坂』という名前の坂がありました
『昔、処刑場だった』
『首斬り場だった』
クラスで話題になり
怖いもの大好きだった私は
ワクワクしました
『夜、くらやみ坂には
絶対に近付かないほうがいい』
なんてことも耳にしました
くらやみ坂
(お借りしました⤵)
私は、くらやみ坂の近くにある
西前小学校という小学校に通ってました
こちらの小学校が建て替えをすることになり
給食からお弁当持参になりました
母はホステスをしてて朝は寝ています
なので自分でお弁当を作ったりしたのですが…
タッパに、ご飯と石井のミートボールや
ウインナーを焼いたものを仕切り無しで入れたので…
お弁当の時間になり蓋を開けるとぐちゃぐちゃにw
ご飯がミートボールのタレで
真っ赤に染まってました…
小学校低学年(2年生)の私の苦い記憶w
苦い記憶で思い出しました💡
当時1980年代
離婚している親を持つ子供は少なくて
しかもホステスをしていた母
育児放置していた母
私は
朝の準備も自分でしてました
大人の目からは綺麗な子供では
なかったと思います
それでなのか友達の家に遊びに行くと
イヤな顔をされました
中には歓迎してくれる
お母さんもいました✨
あと
全然知らない家の人から
茹でたての枝豆をもらったりしたことも✨
濃厚な想い出
このくらやみ坂の近くには
藤棚商店街という商店街があり
美味しいコロッケ屋さん
美味しい
サンマーメンとシュウマイの中華屋さん
美味しかった
食べ物の記憶がたくさんあります✨
母は食い道楽で外食ばかりしてました
(なので藤棚商店街で食べた記憶が残ってる✨)
この街で暮らしてて
兄から毎晩暴力を振るわれたり
兄の友達とプールやガンダムの映画に行ったり
濃い記憶がたくさん残ってる
歩きタバコ🚬
横断歩道を母と歩いてて
歩きタバコの男性のタバコが私の手に当たり
ヤケドをしたのも藤棚商店街の前の信号でした
その場で母に言えず
家に着いてから伝えた私…
その男性は悪意があったのかな…
怖い記憶
恥ずかしい記憶
寂しい記憶
優しくされた記憶
美味しい記憶
辛い記憶
痛みを知った記憶
今でも鮮明に覚えてる…
神様を信じた夜
この頃、母はとある有名な宗教に入信してました
母は決まった時間になると御参りをします🙏
子供ながらマネをして御参りしてました
そんな、ある日
飼っていた文鳥がグッタリしてました
私は母が作った御神前の前で
文鳥を手の平に載せたまま
『神様 鳥さんを元気にしてください』
『神様 鳥さんを助けてください』
と涙を流しながらお願いしました
長い時間
強く
強く
祈ってお願いしました
すると
文鳥さんは元気になりました✨
この話をすると
『うっそだ~』
って大抵の人に言われてしまうので
本当に心を許した人にしか話さないのですが
本当にあったお話です✨
この時に
『神様はいる✨』
って信じたのが最初でした
それからも数年間
母はこちらの宗教を続けていました
母 騙される
私が小学校高学年の頃
母はコリアンパブを経営してました
(韓国の女性が働くパブです)
そして
働いてた女性の借金の保証人になり
(その女性が夜逃げしてしまい)
大きな借金を背負うことに…
この時は尊敬する叔父も呆れ
一円も払ってくれなかったと
母は話してました
(そりゃそうですね)
母の経営するコリアンパブに
毎日、借金取りが来て
13万円支払ってました
(毎日13万円!ってムリムリムリ!)
取り立てに来て支払えないと
次の日は利息がついて
どんどん母の借金は雪だるまになりました
母の経営するお店も
そんなに繁盛してたわけでもなく
相当な
ストレスとプレッシャーだったと思います
当時、私は中学生
ちょうどこの頃⤵
母の苦労なんて知らずに好きなことしてた
ゴメンね母ちゃん
兄は高校中退して
引きこもってました…
騙されて借金の保証人になり
借金を背負った母
ダメな子供2人
そんな母を支えてくれてたのが
再婚した義理の父でした✨
(母は交際してることを
話さなかったので知らなかった)
最終的には
コリアンパブはたたみ
そのお金を借金にあてたようです
コリアンパブを閉めて
再婚したおかげで
母はとても優しく明るい性格に変わり
私は母と良い時間をたくさん過ごせました✨
母も波瀾万丈な人生でしたね…
なのでね
私は心掛けてることがあって
息子のお友達が遊びに来てくれた時は
大歓迎
するのです✨😊
子供の時の記憶って
いつまでも
残るものです
なのでね
いつも全力で歓迎します✨