素直な天邪鬼

素直なようで天邪鬼な自分の波瀾万丈な人生

パチンコ依存症 家庭崩壊までのカウントダウン 裕福だった我が家

パチンコ依存症になった母と

スロット好きな元夫と暮らした

30代の頃のお話を数回に分けて

ブログにしたいと思います

 

元夫と離婚しますし

(離婚したから元夫なんですよね🤣)

 

元夫と離婚した

翌月に母は末期癌になるし

 

 

akiko42life.hatenablog.com

 

 

振り返ると

本当に愚かな家族だったなぁと

思いますが

 

やはり依存症は怖い!

パチンコをやめたくても

やめたくてもやめられない苦しさ

 

パチンコに心を奪われた母

パチンコが生き甲斐になってしまった母

 

パチンコやギャンブルをされない方

私は大丈夫!と思われた方

 

元々

私の母もパチンコしない人でした

 

なので

安心できませんよ~😏

なんてね!

 



 

きっかけ

 

母はパチンコを嫌ってました

 

祖母がギャンブル好きで

そんな祖母を軽蔑してた母

 

そんな母がパチンコをはじめた

きっかけはポイントでした

 

パチンコ屋さんの会員になり

来店ポイントを貯めるのです

 

そして貯めたポイントで景品を貰えます

 

祖母からポイ活を頼まれて

私達親族一堂はしぶしぶ

会員カードを作らされました😰

 

そして祖母とみんなでパチンコ屋さんに行き

ポイントを付けて景品をもらって帰ります

 

 

皆さん呆れてますよね?

 

 

私も母も親族一堂

みんな行きたくなくて嫌でした

 

 

でも祖母には逆らえないのです

 

 

 

なぜ?

なぜですかね?

祖母は絶対的な存在でした😰

 

 

 

中でも祖母に

一番逆らえなかったのは

母でした

 

祖母は

母の実母です

 

母は

毎日、祖母の家に行き

祖母の身のまわりのことをする

 

祖母が生きている時は

母の生活は祖母一色でした

 

パチンコ屋さんへ

祖母を送迎したり

ポイント協力はしてましたが

母はパチンコが嫌いで

決してやりませんでした

 

そんなある日

 

祖母に言われて一緒にパチンコ屋さんに

行くとイベントをしてました

 

待ち時間があって

母は一緒に来ていた叔母(母の妹)と

初めて🔰パチンコをします

 

すると

大当たり🎯

 

数十分で数万円のお金を

手に入れました💴

 

ですが母

ここではパチンコに

ハマりませんでした

 

 

 

祖母の死

 

それからしばらく経ち…

祖母は肺癌になり亡くなります

 

祖母から解放された母は

暇になります

 

仕事もしてません

 

 

 

在日韓国人

話は反れますが

私達一族は韓国人です

在日韓国人

 

私の父は日本人なので

(母と離婚してます)

私は日本の国籍です

 

祖父、祖母共に日本生まれです

 

母は朝鮮学校に通ってた様ですが

詳しく聞いてません

 

この前ブログに書きましたが

祖父が42歳の若さで事故死してから

 

akiko42life.hatenablog.com

akiko42life.hatenablog.com

 

 

叔父

叔父(母の弟)が大黒柱となり一族を

養ってくれました✨

 

叔父は本当に凄い人でした

 

祖母

叔母(母の妹)

叔父(母の弟)

 

祖父が亡くなってから

皆の為に朝から夜中まで働き

養ってくれました

叔父は当時十代だったそうです!

 

母の結婚は早かったけれど

離婚して出戻りホステスになります

 

義父の死と死亡保険金

 

私が17歳の時に母は再婚しますが

僅か五年で義理の父は肝臓癌で亡くなります

 

義理の父の死亡保険金

数千万円を母は叔父に託します

 

叔父の事業に使ってと…

数千万円を叔父に託す母



数千万円を受け取った叔父は

母に住む家を提供してくれました

 

そこから母と兄と私は

家賃のない暮らしをします

 

母は

遺族年金を貰えるようになりました

 

家賃もなく

生活に困ることはなかったです

 

そして更に叔父からも

毎月数十万円貰っていました

 

そして更に更に

駐車場管理をしていたようで

その駐車場の月極料も入り

 

当時の母は

毎月60万円以上の収入が

ありました

 

母は質素な暮らしをして

お金を使いませんでした

 

貯金は増えていきました



そんな暮らしが数年間続きます

 

祖母が亡くなってからは

母は叔父(母の弟)に尽くします

 

叔父の会社へ行き

社員さん達の昼食を作りに

通うようになりました

 

毎日毎日

叔父の会社に行き

掃除や昼食作りをしてました

 

数年間の間に叔父から

言われ引越は数回ありましたが

どの物件も家賃はいらないと

叔父から言われました

 

 

お金に困ることはなく

私はペットショップを辞めてからは

フリーターという気楽な二十代でした

 

兄は引きこもりでした

母と私と顔を合わすのを避けながら

一緒に暮らしてました

 

 

兄の独立

引きこもりをしていた兄でしたが

叔父から引越してと言われた

タイミングで一人暮らしを始めます

 

兄がいなくなり

母と私だけの暮らしになりました

(犬1匹と猫7匹いました)

 

叔父に言われた家に引越をして

数ヶ月後

私は彼氏ができました

その彼と2年交際をして

結婚する話になりました

 

母と叔父に彼を紹介しました

 

叔父はお寿司屋さんでお祝いして

くれました

あまり笑わない叔父が終始笑顔で

喜んでくれました

 

その晩

叔父からメールがきました

 

かあちゃんをたのむ

 

かあちゃん

いっしょに

くらしてくれ

 

かあちゃん

ひとりにしないでくれ

 

たのむ

 

とひらがなだけのメール

 

私は結婚を機に

家を出て彼と暮らす予定でしたが

 

叔父からのメールを読んで

今まで叔父から受けた恩義を

振り返りました

 

叔父には本当にお世話になり

感謝をしてます

 

叔父からの頼みを断れませんでした

 

私は彼に

『母と一緒に住めない?』

と聞きました

 

彼は『いいよ』と即答

 

彼は横須賀に住んでいて

彼のお母さんは彼が中三の時に

突然家からいなくなったそうです

 

彼は男3兄弟の末っ子

お母さんの家出は

ショックだったと聞きました

 

だからでしょうか

彼は母と仲良く暮らしてました

 

 

 

つづく